[パーソナリティ]
5曲で振り返るBIGBANGの15年
隔世の感 ( ※時代が甚だしく移り変わったという感じ。変化が激しく時代が大きく変わったこと) BIGBANGがまだ練習生時代に撮ったリアルドキュメンタリーとG-DRAGONの「One Of AKind」ミュージックビデオを並んで見た私の感情だ。 セブンのコンサート舞台に立つことができるかどうかが、プロとしての生死の岐路に立たされたあの時、ダンストレーナーにとりわけ叱られたトップ(チェ·スンヒョン)の気後れした姿は、改めて見ても気の毒だ。 それとは違い「僕はいくつかの不運なく高価な体」「僕の歌は建物を建てる」力いっぱいSwagするG-DRAGONの姿は自分たちにいつそんな時代があったのかと言うように終始余裕で堂々としている。 改めて調べてみたビッグバンの過去は、20歳のトップの気の小ささとG-DRAGONの自信が6年という歳月の間で、才能と努力という変数に囲まれて二転三転していた。 大衆的人気と成功という大爆発(Big Bang)の兆候は、まさにその中で捉えられた。
大韓民国でアイドルグループの元年を「ソテジと子どもたち」が登場した1992年に据えることができるなら、06年にデビューした「ビッグバン」は正確にその歴史の中間にある。 物理的な時間とは別に、彼らが聞かせた音楽やファッション、活動方式の全てが、「ビックバン」以前とその後に、大韓民国のアイドル傾向を分ける基準となったのだ。 「ソテジワアイドゥル」でダンサーとして活躍したYGエンターテインメントは、そんなビッグバンを「アイドルの進化」と自評した。 BIGBANGは「1曲も公開せず、単独ステージもない」内容のリアルドキュメンタリーだけでスターになった。 そして2008年にヤン·ヒョンソクは「ソ·テジは実と葉っぱが豊かについた見上げる大木で、ビッグバンは "この芽がいかによく育つか"と言って見下ろして見なければならない苗木だ」と話した。 もちろんその「見下ろしてみるべき」苗木もまた、誰かが「見上げる」巨木になって久しいが。
8月19日はそんなBIGBANGがデビューしてからちょうど15周年になる日だった。 明と暗、喜と悲が交差したあの波乱万丈な時間を一度は振り返らなければならないと考え、苦悩を重ねる 彼らの既存の5曲(リーダーG-DRAGONのソロ曲を含めて)をめぐって話をしてみることにした。 扱う曲の意味は、曲のタイトルから見ることもでき、その歌の歴史的位置や歌詞の内容から見ることもできる。 必ずしもその必要がないのに、自分たちで曲を作って歌うことに大きな意味を置く「アーティスト型アイドル」の典型。 ビッグバン15周年の反芻のための最初の曲は彼らの初正規作に収録された「Big Boy」だ。
Big Boy
(from 'BIGBANG Vol.1 Since 2007')
今も完全に姿を消したとは言えないが、'ヒップホップアイドル'という言葉はいつも不当な扱いを受けてきた。 ラップをしようとするアイドルたちは、他人が与える曲を受け取って歌って踊ればいいという世間の間違った偏見と、アーティストとしての省察、生きてきた履歴、ジャンル的正統性などを考えるラッパーの要件(?)の前で、余計に萎縮した。 ビックバンも、最初はそのような疑問から自由ではなかった。 ヒップホップが好きで、それをきちんとやろうとするグループのようには見えるが、いざヒット曲を見れば、仕方のないアイドルポップグループという結論に至るのが常だったからだ。しかし彼らはデビューアルバムに収録された「Big Boy」と「흔들어(揺らして)」で外部の疑い深い視線に亀裂が入った。 8歳の時からSMエンターテインメントで練習生生活をしたリーダーのG-DRAGONが「ウタンクラン」を聞いてヒップホップに陥り、YGエンターテインメントに籍を移した間接的な理由がこの曲には盛り込まれている。 横行する先入観に対抗して、BIGBANGがG-DRAGONのプロデュースとトップのバリトンラップで定着させたヒップホップアイドルの系譜はもちろん、2021年現在、BTS、NCT、BLACKPINKのようなチームが見事に続いている。
嘘 (from 'Always')
ミュージシャン(グループ)なら誰にでも跳躍と反騰の兆し、きっかけになる曲が一つぐらいはあるものだ。 IUには「いい日」がそうで、TWICEには「Like OOH-AHH」がそうだった。 ビッグバンには「嘘」があった。 「嘘」はマルーン·ファイブ·サンプリングが含まれたシングルと正規作1枚にとどまった2007年頃、最高のボーイズバンドとしての地位を固めなければならなかった彼らに奇跡のように訪れた曲だ。 ある日G-DRAGONが眠る前に思い浮かび、コンピューターに保存しておいた叙情的なピアノメロディと耳に染み込むコーラスメロディをつかんだ「嘘」をきっかけにビッグバンは本当に嘘のような人気を得るようになる。 発表したその年、ほぼすべての韓国内チャート、レコード販売数および放送回数トップを記録した「嘘」は、BIGBANGの過去の栄光ではなく、BIGBANGそのものを象徴する曲で、「ハルハル」とともに今もファンの思い出の深い場所に位置している。
Fantastic Baby (from 'Alive')
「ビルボード」誌はこの曲が「韓国歌謡界の版図を覆した」と評した。 同じ所属事務所のPSYが「江南スタイル」を作る時に必ず参照したはずのこの揺れ動くエレクトロハウスナンバーは、「BANG BANG BANG」とともに5億回前後のYouTube再生回数を記録し、BIGBANGのグローバル認知度を広げた。(2021年8月24日現在、再生回数は4億8900万回余りに達した) これはデビュー6年目に入ったBIGBANGがデビュー時から享受してきた全盛期の頂点であり、ヒップホップとR&B、フューチャーベースを含めた。 2011年MTVヨーロッパミュージックアワードで「最優秀ワールドワイドアクト賞」を受賞し、翌年イタリアMTV TRLアワードで「ベストファン賞」を受賞したのはその情況だった。 もちろん2013年から2017年まで日本ドームツアーで420万5500人の観客を動員したのもやはり「Fantastic Baby」以降、ビッグバンの地位がどこまで高まったのかを示す客観的な数値だ。
無題 (from 'クォン·ジヨン')
「ビッグバンは グループでもよくやったし、ばらばらになってもよくやった。 2001年に発売されたヒップホップコンピレーションアルバム「2001大韓民国HipHopFlex」に13歳で「G-Dragon」という曲を収録し、自分だけの音楽世界を予告したG-DRAGONはその中でももっと上手かった。 その後、この曲に『無題』を盛り込み、『USBもレコードか』という論争を巻き起こしたソロアルバム3枚目の『クォン·ジヨン』を発表し、立志戦績のトレンドセッターとしてトップの座に立った。 ミュージックビデオにひねくれたコメントをした外国のあるファンは、そんなG-DRAGONのことを「この時代の韓国人ジョーカー」と表現した。 「少年よ」の歌詞のように彼は本当に「13歳から休む暇もなく走ってきた」という。
練習生の時からR&Bソウルで生まれつきの才能を見せた「テヤン」も、ビックバンで一番先にソロアルバムを出し、自分の音楽趣向をそのまま隠さなかった。 そしてデビュー作「Hot」と「私だけを見て」で彼は2009年韓国大衆音楽賞最優秀R&B&ソウル部門のアルバムと歌賞を同時に受賞し、自分の選択が間違っていないことを示した。 2014年作「Rise」もビルボードアルバムチャートで米iTunes R&Bチャートでそれぞれ112位と1位にランクされ、テヤンは自分だけの音楽のひもをしっかり結んだ。
デビュー当時から歌では誰にも劣らないテソンも、バラードとトロットで韓国と日本を行き来しながら、自分だけの市場を開拓してきた。 2013年、D-Liteという活動名でJ-POPをカバーした日本デビュー作「D'scover」を発表し、現地戦略に差別性と名分を加えた末、翌年の日本アリーナツアーで17万人もの観客を一人で動員する底力を見せつけた。
俳優としてもキャリアを築いているトップはG-DRAGONとのユニットで正規作を出し、ラッパーとしてのプライドを守ったが、中でも「Turn It Up」は韓国ヒップホップの歴史を扱った本「ヒップホップコリア」を書いた日本の作家鳥井咲子が「韓国ヒップホップに関心を持つきっかけになった曲」と言及し、思いがけない文化の架け橋の役割を果たした。
このように「無題」というタイトルを持つG-DRAGONの曲は、突然離れた愛を懐かしむラブソングに聞こえるが、そのタイトルを限りなく広い「無制限」に置き変えると、これまでビッグバンが歩んできた道で、彼らが行くべき道を含んだ「達成した者の思索」のようにも感じる人もいる。 背景を変えながらロングテイクで撮ったMVを見ながら、そのような考えはいつの間にか確信できる。
花道(from 「花道」)
今、BIGBANGの時計は、このシングルが出た2018年3月13日で止まっている。 『花道』は彼らが得意とするエレクトロニックポップでも、完全なヒップホップでもない。 境地に達したG-DRAGONのプロデュースの下、アコースティックギターとラップを加味したポップR&B曲だ。 キム·ソウォルの詩をモチーフに良い過去を思い出し、離れた人が再び戻ってくるのを待つ。 書いた歌詞は一見分かりきっているように見えるが、今「花道」の代わりに「いばらの道」を歩いていて、またどこかでいばらの座布団に座っている前メンバーと現メンバーを思い出させるというところから、曲のタイトルはかなり複雑な解釈を歌う。
兵役を終えたG-DRAGONとテヤン、トップとテソンは昨年3月、YGエンターテインメントと3度目の再契約を結んだ。 G-DRAGONは同年11月、「曲作業をしている」という具体的な近況まで伝えてきたが、それから9カ月が過ぎた今もBIGBANGのカムバックは ただ可能性にとどまっている。
2015年6月18日、JTBCとのインタビューでG-DRAGONは「われわれがどんな音楽をし、その音楽でどのように世の中を変え、文化をアップグレードさせることができるのか」と語った。 ビッグバンの存在理由を「粋」という一言に込めた。 天下のビッグバンも「かっこよくなければ終わり」というわけだ。 彼らの「花道」がどこまで続くのか、いや、もっと続くのか、それともいつ頃また始まるのか。 シングル1枚が本当に多くのことを考えさせる。
いつかGD&TOPの『 뻑이가요(KNOCK OUT)』を共同作曲した世界的なDJ兼プロデューサーのディプロは、二人の「とてつもないフロー」を絶賛し「BIGBANGにはニュー·キッズ·オン·ザ·ブロック、ジェイ·Z、マイリー·サイラス、ジャスティン·ビーバーがミックスされている」と述べた。 ある人の言葉のように、BIGBANGは「韓国の主流の大衆音楽が輩出した最初のブラックミュージックアイドル」だった。 そんなビッグバンを2016年、ビルボードは「国際的な警戒とK-POP産業の限界を同時に乗り越えたボーイズバンド」と書いた。
source:
何気なく読んだら
感動すらする内容だった😢
書いて頂いてありがたい🙏
保存したいくらい…
私は単純だから
恋愛の曲としか思ってなかったけど
そういう解釈もあるのねと
改めて見てみた…
むしろそんな気がして
胸に響いた 😢